会津の人は、人を指すのにも「とこ」と言います。
標準語では、「とこ」と言えば場所のこと。
ここが紛らわしいですね。
用法
「俺んとこ見ろ」
【訳:おれのことを見ろ】
では、「俺の家に来い」はどうでしょうか?
「俺ん家さこぉ」となり、「さ」が入ったりします。
さらに砕けると「うっつぁ、こぉ」 【訳:うちに、来い】と言いますが。
会津の人は、人を指すのにも「とこ」と言います。
標準語では、「とこ」と言えば場所のこと。
ここが紛らわしいですね。
用法
「俺んとこ見ろ」
【訳:おれのことを見ろ】
では、「俺の家に来い」はどうでしょうか?
「俺ん家さこぉ」となり、「さ」が入ったりします。
さらに砕けると「うっつぁ、こぉ」 【訳:うちに、来い】と言いますが。
上段の「とこ」とはまた違って、今度は標準語で「こと」と言うのに会津弁では変化するものがあります。
それが、経験を表す「とき」の用法です。
用法
「東京さ、行ったときないよ」
【訳:東京には、行ったことがないよ】
「それは、聴いたときねぇなぁ」
【訳:それは、聴いたことないなぁ】
会話の中で、相手の意見を肯定し、うなずくのに「だから!」とか、それが砕けた「したがら!」とか言います。
標準語で人の意見の後に「だから!」と言ったら、「だから、そうじゃなっくって、さっきも言ったでしょ?」みたいに、後に否定の言葉が来るのが普通ですね。
会津の人が会話の中で「だから!」とか「したがら!」と言ったら、「そうですね」とうなずいてるのだと理解してください。
「し」と「す」や「じ」と「ず」、「きゃきゅきょ」と「ちゃちゅちょ」が曖昧になります。
特に、お年寄りになると。
例えば、「3時のおやつ」は「さんずのおやつ」に近い発音です。
「白い」は「すろい」など。
また、お年寄りだと「救急車」を「ちゅうちゅうしゃ」と発音する方も・・・。
ちなみに、山一つ越えて米沢に入ると、「せ」を「しぇ」と発音します。
「先生」を「しぇんしぇ」と言います。
会津弁では「しぇんしぇ」とは言わず、「せんせ」ですね。
ちなみに、「紳士」は「すんす」です(笑)
標準語で「くれる」と言えば、「もらう」という意味ですね。
「おばぁちゃんがお年玉くれた」など。
会津弁で言うと、「与える」意味にもなります。
用法
「嫁にくれる」
【訳:嫁に出す】
「くっち(くれて)やる」
【訳:あげる】
もちろん、標準語のように「もらう」の意味で使うこともあります。
「それ、俺にくっち(くれて)みろ」
【訳:それ、俺に頂戴】
会津弁で、特別に寒いことを「かんじる」と言います。
ところが、その程度を表すときに、「寒いけど、かんじるほどでねぇな」なんて言ったりします。
ふと疑問に思いました。
「かんじる」 「かんじない」の境ってなんだろう?と。
それ以来、気にしていると、ようやくわかりました。
その境とは、ずばり、「水の凍る、凍らない」。
車を運転するのにも、玄関前や街中を歩くにも、いやいやもっと身近に生活の水においても、凍る、凍らないというのは日々の生活にとってとても重要な要素なのです。
水道水が凍る気温ともなれば、少し水を出して流しておくなどして水道管の凍結防止をしないといけませんし、車の運転や徒歩も十分に気をつけないといけません。
水が凍るかどうかは、純粋な気温で決まるわけではありません。
雪が降らない乾燥した日は、気温がプラスでも風が吹くと気化熱として熱を奪われ水は凍ります。
ですから、会津の人は「凍りそう」 「凍らない」の微妙な体感温度を経験的に培われた身体のセンサーで察知し、「かんじる」 「かんじない」を判断し、言い分けているのです。
会津弁、それは生活に密着した生きている言葉なのです。
(楽しいこと、ポジティブなことや場所に)来てみてください、行ってみてください、一緒に行きましょう、など
二次会に飲みに出るのを渋る仲間に「いいから来てみれば楽しいんだから」的なニュアンスを込めて使ったりします。
(一緒に)行きましょう
語源は「相馳せ」でしょうかね?
「あいべ」より丁寧な言い方。
(一緒に)行こうよ
「あいばせ」より、くだけた言い方。
あちらに
あちらへ
「あっちさ」が変化したものと思います。