続いている
続いている
もたもた、(悪い意味で)のんびり
相手をせかす時などに使います
個人的にですが、一番美しく、ステキだなと思う会津弁が、「いだます」です。
「いだます(いたましい)」
標準語だと「かわいそう」とか「痛々しい」とかの意味です。
これが、会津弁では「もったいない」という意味を持ちます。
たとえば、食事を食べ残すと「いたましい」、直せば使える道具を捨ててしまうと「いたましい」など。
会津以北、会津の歴史でも書いたとおり、会津にはもともと山形などから入った山岳信仰がありました。
食材は、山々の恵み、あるいはその山から流れてくる水系がもたらす自然の恵み。
それはただの材料ではなく、大自然の一部なのです。
自然の恵みを食するために分けて戴きながら、残してしまってはかわいそうだと思ったのではないでしょうか。
道具も、もともとは木片や岩石など、大自然の中の材料から作ったに違いありません。
やはり食材と同様に、自然への感謝を持ちながら使い、壊れては直して使っていたのだと思います。
日本古来の針供養や人形供養にもつながる精神性が、会津の文化や言語に残っている気がします。
もったいない、というと人間の都合のようですが、会津の人は「いだます(いたましい)=かわいそう」と、食材や道具に感情を移入し万物に魂が宿ることを子供の頃から知らず知らず教えられているのではないでしょうか。
会津弁にも丁寧語があります。
例えば、同じ「来い」を意味するにも、
「こぉ」=「来い」
「来っせ(きっせ)」=「来なさい」
「来らんしょ(きらんしょ、または、こらんしょ)」=「来てください」
「来はらんしょ(きはらんしょ)」=「どうぞお越し下さい」
やんわりと丁寧に言いたい時は、最後に「~し」や「~なし」などを付けます。
お店屋さんに入ると、よく耳にします。
例えば、
「お包みすっかなし」
【訳:お包み致しますね】
「よく来らった(きらった、または、こらった)なし」
【訳:ようこそおいでくださいました】
会津の人は、人を指すのにも「とこ」と言います。
標準語では、「とこ」と言えば場所のこと。
ここが紛らわしいですね。
用法
「俺んとこ見ろ」
【訳:おれのことを見ろ】
では、「俺の家に来い」はどうでしょうか?
「俺ん家さこぉ」となり、「さ」が入ったりします。
さらに砕けると「うっつぁ、こぉ」 【訳:うちに、来い】と言いますが。
上段の「とこ」とはまた違って、今度は標準語で「こと」と言うのに会津弁では変化するものがあります。
それが、経験を表す「とき」の用法です。
用法
「東京さ、行ったときないよ」
【訳:東京には、行ったことがないよ】
「それは、聴いたときねぇなぁ」
【訳:それは、聴いたことないなぁ】
会話の中で、相手の意見を肯定し、うなずくのに「だから!」とか、それが砕けた「したがら!」とか言います。
標準語で人の意見の後に「だから!」と言ったら、「だから、そうじゃなっくって、さっきも言ったでしょ?」みたいに、後に否定の言葉が来るのが普通ですね。
会津の人が会話の中で「だから!」とか「したがら!」と言ったら、「そうですね」とうなずいてるのだと理解してください。
「し」と「す」や「じ」と「ず」、「きゃきゅきょ」と「ちゃちゅちょ」が曖昧になります。
特に、お年寄りになると。
例えば、「3時のおやつ」は「さんずのおやつ」に近い発音です。
「白い」は「すろい」など。
また、お年寄りだと「救急車」を「ちゅうちゅうしゃ」と発音する方も・・・。
ちなみに、山一つ越えて米沢に入ると、「せ」を「しぇ」と発音します。
「先生」を「しぇんしぇ」と言います。
会津弁では「しぇんしぇ」とは言わず、「せんせ」ですね。
ちなみに、「紳士」は「すんす」です(笑)
標準語で「くれる」と言えば、「もらう」という意味ですね。
「おばぁちゃんがお年玉くれた」など。
会津弁で言うと、「与える」意味にもなります。
用法
「嫁にくれる」
【訳:嫁に出す】
「くっち(くれて)やる」
【訳:あげる】
もちろん、標準語のように「もらう」の意味で使うこともあります。
「それ、俺にくっち(くれて)みろ」
【訳:それ、俺に頂戴】
会津弁で、特別に寒いことを「かんじる」と言います。
ところが、その程度を表すときに、「寒いけど、かんじるほどでねぇな」なんて言ったりします。
ふと疑問に思いました。
「かんじる」 「かんじない」の境ってなんだろう?と。
それ以来、気にしていると、ようやくわかりました。
その境とは、ずばり、「水の凍る、凍らない」。
車を運転するのにも、玄関前や街中を歩くにも、いやいやもっと身近に生活の水においても、凍る、凍らないというのは日々の生活にとってとても重要な要素なのです。
水道水が凍る気温ともなれば、少し水を出して流しておくなどして水道管の凍結防止をしないといけませんし、車の運転や徒歩も十分に気をつけないといけません。
水が凍るかどうかは、純粋な気温で決まるわけではありません。
雪が降らない乾燥した日は、気温がプラスでも風が吹くと気化熱として熱を奪われ水は凍ります。
ですから、会津の人は「凍りそう」 「凍らない」の微妙な体感温度を経験的に培われた身体のセンサーで察知し、「かんじる」 「かんじない」を判断し、言い分けているのです。
会津弁、それは生活に密着した生きている言葉なのです。