生活と方言:「かんじる」 「かんじない」の境とは?

会津弁で、特別に寒いことを「かんじる」と言います。
ところが、その程度を表すときに、「寒いけど、かんじるほどでねぇな」なんて言ったりします。

ふと疑問に思いました。
「かんじる」 「かんじない」の境ってなんだろう?と。
それ以来、気にしていると、ようやくわかりました。

その境とは、ずばり、「水の凍る、凍らない」。

車を運転するのにも、玄関前や街中を歩くにも、いやいやもっと身近に生活の水においても、凍る、凍らないというのは日々の生活にとってとても重要な要素なのです。
水道水が凍る気温ともなれば、少し水を出して流しておくなどして水道管の凍結防止をしないといけませんし、車の運転や徒歩も十分に気をつけないといけません。

水が凍るかどうかは、純粋な気温で決まるわけではありません。
雪が降らない乾燥した日は、気温がプラスでも風が吹くと気化熱として熱を奪われ水は凍ります。
ですから、会津の人は「凍りそう」 「凍らない」の微妙な体感温度を経験的に培われた身体のセンサーで察知し、「かんじる」 「かんじない」を判断し、言い分けているのです。

会津弁、それは生活に密着した生きている言葉なのです。